大川の桜開花
今年は桜の開花が遅い。
天満橋近くの桜がやっと咲き始めた。
デジカメのピントが合っていない。
がっかりである。
私は子供の頃から黄色が好き。
黄色が好きなゆえにその色目にこだわりがある。
どんな黄色でも良いわけではない。
このチェック素材は材質は嫌いだが色目が好き。
厚みも帽子に向いている。
冬素材だが勢いで帽子をふたつ作る。
気に入った色目を縫うのは楽しい。
2011-26
ベレー
2011-27
ハンチング
まだまだ寒い花盛り。
風の中を自転車飛ばして家電メーカーへ急ぐ。
アイロンの不具合を直したいのだ。
スチームアイロンから水垢の粉が出るようになって掃除をしようと思った。
アイロンの底を取り外そうとして合わないドライバーでネジを潰してしまった。
結局分解出来ず傷付けただけ。
しかもネジ部分の尖った傷が生地を傷付ける。
薄物などは引き攣れ状態で当て布が必要。
家電メーカーの受付で調べてもらった。
ネジだけで良かったのだが特殊なネジなので基盤全体の交換になるという。
7500円ほどだという。
再考することにして電気店に寄ってみた。
好みの機種は2万弱で修理の方が安上がり。
しかしネジ一本分の問題が7500円とは納得出来ない。
内部の掃除をあきらめてネジの棘を削ることにした。
ヤスリの先を使って時間をかけて削った。
大正解。
ところで、新型のアイロンは底にネジはなかった。
何と掃除が出来ないらしい。
水垢除去装置が付いているというが疑わしい。
プロの使うアイロンだって水垢は溜まる。
2011-24
エクセーヌの単衣のジャケット。
二度ほど着てから作品としてアップしていなかったことに気付いた。
定番のステッチ入り。
高級エクセーヌはオークションで入手。
最近よくネットオークションでエクセーヌを買っている。
届いてからネットで見た色目との違いに驚くことも多いし
おそらく偽物も混じっているだろう。
それも勉強代。
このクリーム生地は本物だと思う。
2mで1300円だった。
ボタンホールは玉縁始末、ボタンは博多駅の東急ハンズで購入、
縫い代始末はピンキング鋏でカットしただけ、裾上げは両面接着テープ。
明石の駅前で二人の男性が震災援助の募金をしていた。
しばらく見ていただ誰も応じない。
地震、津波、火災と続いて原発事故までの大惨事だ。
戦後処理と同じ規模ではないか。
村ごと移転した地区もある、仮設住宅の必要戸数も半端ではない筈。
募金詐欺のニュースもあるが街頭募金に違和感がある。
小銭では救えない気がするのだ。
赤十字などに直接送金する人が多いのではないだろうか。
ある程度まとまった金額を送りたいがどうしたものか。
金額で悩む。
震災後直ぐに日本生協連はトラック4台分の食糧や使い捨てカイロをみやぎ生協に届けている。
早かった。
私は生協を通じて義援金を送ろうと思う。
毎週提出する注文書にチェックするだけで良いのだ。
これまで様々な災害にを寄付してきたがどれも少額だった。
今回は真剣に金額を検討したい。
私は裕福ではないが貧乏でもない。
とりあえずは半月分の生活費を捻出したい。
お年玉やご祝儀などの交際費を減額または省きたい。
これから日々節約生活だ。
付き合いが悪くなっても許されたし。
2011-22
帆布に顔料プリント、型紙は3枚。
64㎝X54㎝
型紙を挟むカルトン専用バッグ。
ぼかしに挑戦したのだが色目を誤って中国の琺瑯洗面器のようになってしまった。
悩んで縁取りをポップな色目にしてみたが不満。
しかも何故か型がずれてしまって昔の漫画みたいでがっかり。
まだまだ修行は続く。
大地震から一週間。
津波映像に肝を潰したあの時からテレビをつけたまま。
当初死者が少ないと思われたのは
集落そのものが失われたせいだったのか。
「私は大丈夫」とレポーターに応える救出された人々。
大変な状況を乗り越えてきたのだ、決して大丈夫ではない筈。
すべてを失っても命がある事をを「大丈夫」と表現されているのだ。
その言葉には亡くなった方や未だ救出されない人々を案じる気持ちがこもっている。
被災地を逃れて各地の空港に降りたった人達は
残してきた人達に申し訳ないと語る。
受け入れてくれる場があるなら甘えていいんだ。
小さな子どもやお年寄りには水も電気もない生活は過酷。
こんな時にこそ助けを求めていいんだ。
被災しなかった我々が普通の生活をすることも助けになる筈。
買占めしたりせず日常を維持したい。
必要とするものを必要な場所に送りたいのだ。
関西圏で節電しても関東には回せないらしい。
とりあえず贅沢せずに義援金を送ろうと思う。
以前西宮で阪神大震災に遭遇した。
アパートは半壊、ライフラインの回復見込みも不明だった。
だが、大阪の勤務先は普通に機能していた。
それが励みになって友人宅に身を寄せて仕事に復帰した経験がある。
が、心配していた原発は最悪の局面。
事故現場で作業されている人たちが心配。
制御の効かない原発の恐ろしさに震える。
世界の知恵を絞って抑えて欲しいと祈る。
原発事故に対する各国の反応は日本人より極端だ。
安全であろうが無かろうが彼らの腰はひけている。
もし収まったとしても福島の人々や農作物のこれかららが心配。
どう支えれば良いのだろうと考える。
ここ大阪もかなり揺れて
関西エリアで起きた地震だと思った。
阪神大震災に西宮で遭遇した私は不安で気分が悪くなる。
まず玄関のドアを開けた。
西宮ではドアが押し潰されて開かなかったのだ。
ドアの外は静かだ。
慌てて飛び出したのは私だけなのか。
テレビで震源地や規模を確認しようとして驚愕する。
近畿ではなく三陸沖でだという。
どれだけ大きな地震だったのか不安が広がる。
埼玉に住む妹にメールしたがしばらく返信がないので焦る。
電話は却って迷惑だろう。
2度目のメールに返事があった。
高校生の姪は歩いて帰宅中、東京勤務の義弟と埼玉勤務の妹はそれぞれの職場に泊まるという。
一安心。
テレビではリアルタイムで津波を放映。
港の船が流され車が流され家が押し流されている。
空からの撮影だろうか、畑を津波が進む様子が映されている。
押し寄せる津波のすぐ近くの道路を走っている車がいる。
恐ろしいことだ。
逃げろ逃げろと声を出さず叫ぶ。
ラジオなどで当然津波の危険性は知っている筈だ。
家族を心配して急ぐ人なのだろうか。
津波の怖さを目の当たりにして認識が間違っていたと思い知る。
しかしいったい誰がこの映像を送っているのだろう。
命第一でと祈る思い。
テレビも当然全局地震情報。
暗くなると地震後の様相も変わる。
津波の跡地に火が出ている。
濡れている筈だから油やガスなのだろう。
夜遅くなって自衛隊が空から移した気仙沼の大火災の画像が届く。
赤々と火が燃えているが夜となれば周りの状況は分からない。
不安が増す。
地震、津波、火事と恐怖のだめ押しではないか。
目眩がする。
眠るのが怖い。
テレビをつけたまま横になる。
翌日は泉南郡岬町の手作り市に参加予定。
確認すると開催されるらしい。
早起きして街に出る。
大阪の街に変化は無い。
電車を乗り継いでみさき公園駅で友人と落ち合う。
岬町のイベントではゴスペルや講演の予定が自粛でキャンセル。
海の近くの町で津波の警報も出たらしいのだが被害は出ていない。
良いお天気の会場で手作り市などやっていると震災を忘れそうになる。
ただ会場の隅の誰も見ていないテレビが被災地を映し続けている。
朝早く友人から原発を憂うメールが届いている。
原発は哀しい。
多くの電力を必要とする都心近くに建設される事は無い。
安全だと声高に言いながら過疎の地に作られている。
国境沿いに作る国もある。
作る側は危険性を知り尽くしているからだ。
本当に安全なら東京湾に原発を作ればよい。
被曝の恐ろしさを知る日本が何故原発、と思う。
水や火は目で見えるが放射能は見えない。
放射能や被曝したかどうかをわれわれ市民が見分ける方法は無い。
しかも次世代どころか様々なところに潜んで人を蝕むのだ。
地震や津波は天災だが原発の事故はそうではない。
原発の存在そのものが危険なのだ。
震災のニュースを見続けている。
早く早く助けて、と祈ることしか出来ない。
もどかしい。