妹の庭
妹の小さな庭は結構面白い。良い匂いのする花が咲いていた。
カラタネオガタマ。
私がプレゼントした酔芙蓉は育ち過ぎると言ってチョンチョンに切られている。
スズランの花は終わっていた。北海道の庭から持ち帰った苗は私達姉妹の記憶の一部。
ブルーベリーは新参。
もう直ぐ切られてしまう植木。虫が好んで食べるのが気に入らないらしい。綺麗に育っていた芝も剥されていた。雑草が混じるのが気に入らないらしい。理由が不思議。
妹の小さな庭は結構面白い。良い匂いのする花が咲いていた。
カラタネオガタマ。
私がプレゼントした酔芙蓉は育ち過ぎると言ってチョンチョンに切られている。
スズランの花は終わっていた。北海道の庭から持ち帰った苗は私達姉妹の記憶の一部。
ブルーベリーは新参。
もう直ぐ切られてしまう植木。虫が好んで食べるのが気に入らないらしい。綺麗に育っていた芝も剥されていた。雑草が混じるのが気に入らないらしい。理由が不思議。
尖閣諸島でのトラブルで日中関係があやしい。
不可解なのは暴力をふるった側が大威張りなことだ。
暴力をふるっておいて殴られた側に謝罪を要求するのは異常だ。
殴った場所が日本でも中国でも公海でも暴力は暴力だ。
日本海域なら日本の法で仮に中国海域とするなら中国の法で裁くべき問題ではないのか。
中国はリングの上か戦場だと考えているのだろうか。
一方的に戦いを挑まれているのか。
釈放された船長はピースサインで中国に帰って英雄扱いだ。
きちんと取り調べるのが筋だと思う。
犯罪の容疑者を英雄扱いする国を理解するのは無理だ。
やはり中国政府とは仲良くやれそうにない。
中国にお茶を買いに出掛けたいが中国政府が反省するまでは他のお茶で我慢。
楽しみにしていたのに時間を作れずにいた。
4月2日までの会期に一日残して滑り込みセーフ。
チケット売り場近くで老婦人に声を掛けられチケットを貰った。
「余っているから・・・」と。
美術館でよくチケットを貰う。
前売りを持っている時は遠慮申し上げるが、貰い顔相なのか。
パリの地下鉄で道順を尋ねて切符を貰った事もある。
道案内だけでも恐縮なのに、固辞したが断りきれなかった。
見返りを期待しない親切が嬉しい。
私もそうでありたい。
それにしても素晴しいコレクションだった。
たくさんの頭の間から垣間見る絵は、すぐに誰の作品か判るほど象徴的なタッチ。
エッチングには人が張り付いて観れなかったがロートレックの馬をチラっと観る事が出来た。
ロシアには凄い目利が居たものだ。
目的はマティス。
「金魚」は期待を裏切らなかった。
プーシキン美術館に是非行ってみたい。
太極拳を始めた。
複雑系音楽無しラジオ体操みたいなものだが、記憶力に欠陥があるので覚えきれない。
周りを見ながらやっているのにいつの間にか足が逆になっている。
皆同じ方向を向いて揃ってやっていた筈なのに私だけ時々対面になる。
ラジオ体操はお兄さんが「両手を挙げて~下ろす♪」な~んて言ってくれるしメロディに絡めて覚えることも出来るが、太極拳は無音。
皆はどうやって覚えているのだろう。
「え、ブドー?」
そう、進級テストもある武道なのだった。護身術も教えてくれる。
こちらは運動不足解消のつもりでご近所のクラブに入会したのだが、奥が深そう。
ただいまお試しコースを一般コースに変更すべきかどうか思案中。
不精者だが吝嗇なので受講料さえ払えば続けそうな気がするのだ。
きょう街中で若い男性が「みなみはどちらですか?」と訊いてきた。
一瞬ミナミの事かと思ったが状況から方角だと知る。
よくぞ私に訊いて下さった。
ショップや建物名の知識は偏っているが東西南北は大丈夫。地下街は少々難しいが、私は方角に強い。
もっとも陽がある時刻だったから「考えろよ」と言いたいところだったが。
女性の知人に方向音痴が多いのは何故だろう。
まず自宅周りの地図が書けない。地図を渡すと地図を持ってグルグル回す。地面と地図の方向が合っていないと目的地が定まらないらしい。
私の頭の中の地図は常に北が上だ。書く地図も当然北が上。駅や街角の案内図は地図の面側を上に書いてある事が多いが私はこれに困惑する。必ず北を確認して歩き出す。
カーナビも北ではなく目的地が上だ。困ったものだが慣れてきた。
私の母はデパートの中で迷子になる人で、私は幼い頃から案内役だった。必要性と依存度の問題だな、小さい頃から思っていた。私は一人で何処にでも行く。母は同行者が必要な人だ。
知人の娘が3歳だった頃の事だ。遊びに来た神戸で街の絵地図を与えられた。彼女にとってそれは初めての地図ではなかったか。寡黙な彼女だったが歩いたルートと自分の位置を地図上で正確に理解していた。知人は依存度の高い人だったから3歳の彼女には必要な事だったのかも知れない。
それにしても地図の概念を3歳で理解できるのか、と舌を巻いた。
凡人の私が地図を初めて見たのは何時だったのだろうと考えてみた。小学校に提出する為に母が描く学校と自宅を結ぶ地図ではなかったか。私ならこう描く、と不満を持って見ていた記憶がある。